卒業から術後1年1ヶ月
昨年9月に診察卒業した。
リハビリ室でのリハビリも、あっさり終わりになった。
先生方、本当にありがとうございました。
実は卒業の前に北イタリアのドロミテへクライミング遠征に行き、20時間行動もこなし、人から見ると、なんの違和感もなさそうに動いていたと思う。
しかし、本人としては、やはり左右の足の筋力差は残っており、随分セーブした動きだった。
こうしてクライミングに本格復帰し、冬を迎え、2018年が明けてから、スキーにも復帰した。
スキーで受傷したから、やはりスキーには慎重にならざるをえない。
でも、滑り始めから、装具はもう使わないことにした。
左右の筋力差をなくすには、スキーでの対照的な動きを多用して筋力を鍛えるしかないのではないかと思ったので。
もちろん、運動後には丁寧にマッサージをする。ボールとテトラはどこに行くのにも持ち歩いている。
さて、ホームゲレンデでは・・・
怪我をした斜面に今年初めて近づいた時にはドキドキした。
でも、1月23日の術後1年には、もう手術のことは考えなくなっていた。
考えていたのは・・・とにかく、以前のレベルに戻したい。これだけ。
夏に訪ねたドロミテ、コルチナ、インスブルックでも滑ってみたい。
できれば山スキーで・・・
などなど、少しずつ滑走日数が増えるに従って、また将来の計画が持てるようになった。
私はクライミングでも、スキーでも、グレードや級にこだわって、「上がった」「ダメだった」という評価をするのではなく、ある数値を目標にすることで、登れる範囲、滑れる範囲を広げて、結果として実力がついて、楽しめる要素が多くなればいいと思っている。
スキーも2級そのものが目標なのではなくて、2級を目指した結果、楽に滑れるようになり、距離も滑れるようになり、楽しめる斜面が増えればいいなと思っている。(実際、そうなっている。3kmのコースも上から下まで5分程度で一気に降りても疲れなくなった。)
そんなわけで、自分の到達具合を測るために一回は2級を受検するつもりで、滑走日数を重ねた。
滑り始めは、さすがに心もとなくて、装具なしを一瞬後悔したが、いつまでも装具に頼っていては筋力がつかない、と自分に言い聞かせた。
ゆっくりとボーゲンやプルーク、シュテムを中心に、急斜面は避けて、基礎ばかりを繰り返した。
やがて、右膝の心もとない感じはだんだん消失した。
滑走日数がある程度になってきたので、2月最終週の検定を受けておくことにした。3月にも一回機会があるのだが、雪が緩むと自信がないので、この時期にした。
受検準備には、社会人スキーヤーとして工夫できる範囲で、そして私の事情の許す限りのトレーニングをした。
そして、2月25日の検定日。
滑り込みが足りず心配していた小回りも加点をもらってパス。無事、合格した。
これでなんとか受傷前のレベルに戻せた気がする。
ただし、レベルアップに関しては今年はお預けにするつもりだ。
まだ、エッジがきっちり効かせられない、講習後に右膝に疲労がたまってくる、など、左右差が残っている証拠をいくつか実感しているから。
おそらく、来年にはもう少し筋力が戻ってくるのではないかと思う。
しっかりトレーニングして、少しずつ世界を広げていけたらと考えられるようになった。
復帰まで長くかかることを覚悟した前十字靭帯断裂とその再建手術だったが、無事にほぼ完全といえる復帰を最短で果たすことができ、もう一度、先生方には心からお礼を申し上げたい。
後半、かなり間が空いてしまったけれど、ACL断裂で気落ちしている方々にも、目の前のことにひとつずつ取り組んでいけば、スポーツ復帰はあっという間です、50代半ばでも(もっと上の年代でも)以前のレベルに戻れるし、レベルアップも可能です、とお伝えして、ひとまず、この日記は中締めとしたい。
(登山記録のブログは細々続けてます!)